ブライダルアクセサリー専門店Linhua(リンファ) : 2007年10月

2007年10月

リンファ~ジュエリーを超える日を夢見て~

  • 2007年10月03日 21:37

以前、リンファはカジュアルアクセサリーを作っていたメーカーでした。

ですが、自分たちが作りたい物を作っていくうちにカジュアルラインとは違う物が生み出され、ゴージャス&シンプルなクチュールアクセサリーに到達しました。
そしてそのアクセサリーを、是非発表したいと思いました。
最初に2002年、香港の展示会にて発表し、2005年まで連続出展。海外のお客様には大好評を得ました。
2006年からは国内の展示会に出展し、更に腕を磨いて来ました。
その経験を活かし、「リンファフリークを作りたい」と同時に、「本物のジュエリーを超えたい」と、リンファの永遠のライバル”ジュエリー”を超えるための努力と情熱が生まれたのです。

リンファがジュエリーを超える日を、皆様と一緒に迎えたいと思っております。

社長'sヒストリーvol.3

  • 2007年10月03日 21:28

自衛隊体育学校に入隊して4年目、ロサンゼルスオリンピック予選会がありました。
1年かけて4回ふるい落としていく試合方式です。
最終予選会で、前年世界2位の宮原選手(自衛隊先輩)、フリースタイル・グレコーマン世界2位になったことのある朝倉選手(現国士舘大監督)、57kg級世界2位になったことのある柏木選手(この時、階級を下げて来ていました)。そして前年全日本3位の、4人での総当たり戦となりました。
この試合前に全日本強化合宿で朝倉選手との練習中、技を防ぐため自分で必要以上に体をひねりすぎて、助骨を一挙に3本骨折。
3週間の入院、痛み止めを打っての出場となりました。
この世界トップレベルの戦いを制したのは、宮原選手でした。
その年のロサンゼルスオリンピックでも、宮原選手が金メダルを獲得しています。
そのオリンピックを、帰省中のテレビで悔し涙を流しながら見ていた、辛い夏でした。
23年後の今も、3本の助骨は変形し、突起しています。

社長'sヒストリーvol.2

  • 2007年10月03日 21:20

高校卒業後、いろいろな大学からお誘いを受けましたが、高校の時に出稽古に行った自衛隊体育学校に入隊。(当時、アジア最強のチームでした。)
3ヶ月間自衛隊の基礎訓練を受け、以降レスリング漬けの毎日。
外出もできず、強烈なトレーニングと諸先輩方の付き人(掃除、洗濯、お茶など全てのこと)に大変な1年間でした。
練習は、同期が3するところを10こなし、同期に高校の実績では完全に遅れを取っていましたが、1年後には追いつくまで成長しました。
しかし、怪我が続き、まず医者に「格闘向きの骨格ではない」と言われ、監督からは「弱いから1週間マットに上がるな」と言われ、とどのつまり「早くやめろ!」と言われている状態でした。
本当に悔しくて、くやしくて、クヤシクて、それでも絶対、日本一になるんだ! と心に言い続けた暗雲の頃でした。
そのときの体重は、57kg、ウエストは71cm。
ちなみに現体重は75kg、ウエストは95cm……

流行に逆行

  • 2007年10月03日 21:18

テレビ・雑誌など、まだまだ大降りのアクセサリーが中心に話題が先行していますが、綾華では、ロング・大粒を意識しながら”細いチェーンに可憐に揺れるパーツ”をテーマにシリーズを作りました。
これが、今私たちの『お気に入り』なんです。
是非、ご堪能してください。

社長'sヒストリー

  • 2007年10月03日 21:08

1962年大阪生まれ、5歳の時、一家で岡山へ。
中国山脈の自然の中で小さいながらもたくましく育ちました。
「私にイジメられて部屋の片隅でメソメソ泣いている気の弱い弟でした(笑) 姉談」
父親の影響でいろんなスポーツに関わり、体力、柔軟性、敏捷性を養って、中学で体操と柔道、高校では生徒会副会長・レスリング部部長を兼任。
3年生の時、国体でベスト8に!!
この時の優勝者に負け、悔しくてレスリングで日本一になろうと決意。アマチュアレスリングに燃える男になるのでした。
……次号に続く

イベント情報

メニュー

Return to page top.